言いたいことがあっても言えないのはなぜ?

俺は言いたいことがあっても言えないタイプの人間だ。

言えなくてモヤモヤしてしまうことと言ってしまって後悔してしまうことなら圧倒的に前者の方が多い。

今俺は家に引きこもってひたすらアフィリエイトの作業をしている(といっても実際にはやる気が出なくてダラダラしてしまうことが多い)。

そうするとどうしても家族に対する不満が出てくる。

しかし俺は言えない。

母親に対しては言えるのだが、父親に対しては言えない。彼は自分が100%正しいと思っている(あるいはそういう立場でいないといけないと思っている)からだ。

もちろん、100%正しいと思っている人間が相手でも“やんわり”と意見を言うと意外に通ったりすることがあるので、言ってみるに越したことはない。

しかし俺は言えない。

そこで、なぜ言えないのか自分の中にある原因を考えてみた。

言いたいことがあるのに言えない原因

結論からいうと「自分の意見に絶対的な正当性がないと自分でもわかっているとき」だと思う。

逆に、自然法則的にこれをやった方が絶対に良い、あるいはこれは絶対にやるべきではない、絶対に間違っている、という確信が自分の中にあれば言える。

例えば、寒いのに裸でいる人がいたら「服を着た方がいいですよ」と言える。

しかし、トイレの蓋を開けっ放しにする人に「トイレの蓋を閉めた方がいいですよ」というのは言えない。言い辛い。

なぜなら、前者には(ほぼ)絶対的な正しさがあるが、後者にはそれがない。絶対的正しさの裏付けがない。あったとしても乏しい。

自分としては正しいと思っていても相手にとっては違うというのが自分でもわかっているのだ。だから言えない。

言いたいことが言える理由

逆に言いたいことが言える時はどんな時か、上でちょっと触れたけど、もう少し具体的に書く。

  • 相手の利益になると確信している
  • 自然法則的に考えて正しいと確信している

これらの場合は言える。言いやすい。エネルギーを使わずとも言えることが多い。

なるほど。で、どうする?

まあ、とりあえず自分の中のモヤモヤが分かっただけでも良しとするか。

いや、もう少し書こう。

言いたいことがあるのに言えない状態はエネルギーの無駄なのでとりあえずこれをやれ!

そういえばエネルギーがいるかどうかの違いなんだよな。

自分の意見に絶対的な正当性があれば言うのにエネルギーは少なくて済む、なければエネルギーは多く消費する。

しかし、それよりも言えなくてモヤモヤしている時間が一番エネルギーがいる。

だからエネルギーを消費してでもいう価値があるかどうかで考えるといい。よくよく考えてみて、そこまで言う価値はない、となれば言わないと決める。言う価値がある、となれば言うと決める。

もういちど言うが、言えなくてモヤモヤしている時間が一番エネルギーがいるので、とりあえず以下の思考をすればいい。

  1. 自分の意見に絶対的な正当性を見出すことが出来ないので言うにはエネルギーが多く必要だけどそれでも言う価値はあるか考える
  2. もう一度自分の意見を見直して絶対的な正当性を探す

早急にこれらを思考して、どちらか決める。そして決めたら実行。ちなみに、1.は一種の我儘なので、相手を説得するのは直球では難しい。2.は直球でよい。

結局とりとめのない駄文になったけどここでアップロードっと。

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